「がんに打ち勝ってまた戻ってきます」
昨年5月14日の放送で力強く復帰を宣言した筑紫さんが、病魔との闘いに力尽きた。
関係者によると、筑紫さんは8月から約3カ月にわたり、鹿児島の医療施設で治療を受け、1週間ほど前に帰京。その後、容体が急変し入院、家族に看取られ息を引き取った。
遺体が安置された東京・練馬区の自宅には、関係者が続々と弔問に訪れた。亡きがらと対面した朝日新聞の記者時代の友人は、「20日ほど前に(病院で)会った。(死に顔は)普段と同じ顔だった」と言葉少なに語った。
元新聞記者らしい、深い見識に裏打ちされた気骨あふれる発言が魅力だった。筑紫さんが独自の視点で論評する「NEWS23」の「多事争論」コーナーは番組の看板であると同時に、物議を醸すことも多かった。
オウム真理教の坂本堤弁護士一家殺人事件に絡み、TBSが坂本氏のインタビュー映像を放送前に同幹部に見せた問題では、96年3月の放送で、「TBSは死んだに等しい」などと発言、大きな反響を呼んだ。
2004年には、自身の年金未納が発覚し、番組内で謝罪して、一時的に出演を見合わせた。06年9月に新パートナーになった山本モナ(32)が、写真誌「フライデー」に民主党議員との不倫をスクープされると、「あいつはもうここに入れるな!」とスタッフに怒鳴ったという逸話も残っている。
筑紫さんは、昨年5月上旬に受けた検査入院で、初期の肺がんが判明。公表した翌日の15日から休養に入ったが、同年7月の参院選スペシャル番組に声のみで出演し、石原伸晃自民党幹事長代理(当時)にインタビューするなどジャーナリスト魂を見せつけた。
10月8日には147日ぶりにスタジオから生出演。髪がつけ毛であることを茶目っ気たっぷりに明かし、意外にふっくらとした頬で「ほぼがんは撃退しました」と明るい表情を見せた。
だが、12月には「筑紫哲也」を残したまま、共同通信前編集局長の後藤謙次氏(59)が後任に就任。今年3月28日、「筑紫哲也」の冠がタイトルから消滅することを、自ら番組に出演して発表した。
5月に日本記者クラブ賞の授賞式に、抗がん剤の影響からか、帽子をかぶって現れたのが公の場に登場した最後に。8月11日、不定期出演を続けていた「NEWS23」での梅原猛さんとの対談が、最後のテレビ出演となった。
記者時代、テレビ朝日系「日曜夕刊!こちらデスク」の司会を務めテレビデビュー。週刊誌「朝日ジャーナル」の編集長時代は、企画「新人類の旗手たち」が話題になり、「新人類」の言葉をはやらせた。
89年10月から実に18年半、筑紫さんが愛と情熱を注いだ「NEWS23」は、この日の番組冒頭、約20分にわたり、その足跡を振り返った。筑紫さんがこの夏、番組に寄せた「『論も愉し』」と題する直筆原稿や、“最後の多事争論”のVTRも流された。
1日に3箱吸う愛煙家。お気に入りはハイライトとマールボロの赤だったが、病気後はきっぱりとやめた。大好きな麻雀と原稿を書くときの一服がなくなり、「全然おもしろくない」「たばこは必要悪」と話していた筑紫さん。今ごろは、天国で紫煙をくゆらせながら、「多事争論」のネタを考えているかもしれない。
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